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日本の電気自動車の歴史120年を振り返る!どのようにEVは普及してきたのか

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日本の電気自動車普及の歩み-EVの歴史120年を振り返る!

温室ガスを排出しない先進的な乗り物として期待されているEV(電気自動車)。その歴史は意外にも、ガソリン車よりも古いことをご存じでしょうか?今回は、EVの誕生から日本での開発・発展、現在の普及段階に至るまでの歴史を紹介します。

ガソリン車よりも早かった!EVの誕生

諸説ありますが、EVが誕生したのは1830年代ではないかと言われています。驚くべきことに、これは1886年(明治19年)にガソリンエンジン車が発明される50年以上も前のこと。さらに1899年(明治32年)には、電気カーレースで時速100Kmを超えたEVの記録が残っています。当時のアメリカはEV最盛期。1900年代の自動車生産台数・約4,000台のうち、EVのシェアは40%を占めたそうです(※1)。

しかし、1908年(明治41年)にガソリン車の「T型フォード」が発売されると、その技術力とコストパフォーマンスが注目を集め、EVは徐々に忘れ去られてしまいます(※2)。

日本を初めて走ったEV「ビクトリア号」

日本を初めて走ったEVは、サンフランシスコの日本人会が皇太子のご成婚を記念して献上した「ビクトリア号」だと言われています(※3)。この車はアメリカ・ウッズ社製で、運転席と2つの客席を備えた3人乗り。最高速度は29km/hでした(※4)。

この車は、1900年(明治33年)に試運転で国内を走ったものの、皇居のお堀に落ちたという逸話が残されています。その後皇太子の前で走らせることはあったものの結局一度も皇太子を乗せて走ることはなかったそうです。

日本で初めて製造されたEV「タウンスター」

日本で初めてEVが製造されたのは1911年(明治44年)。自動車輸入事業を行っていた「日本自動車」によるものでした。ただし、これは試作した記録のみで、製造されたEVに関する記録は見つかっていないそうです。森本雅之著の「我が国で最初に走った電気自動車」によると、その後の1924年(大正13年)には、「タウンスター電気車」(TS電気車)と呼ばれる国産EVが作られていたのだそう。

しかし、その後国内ではエンジン車の開発が中心となり、次第にEVの開発は行われなくなっていきます。

「リーフ」の先祖となる「たま」号の登場

1937年(昭和12年)、支那事変による戦時体制下でガソリンが統制されると、それまで一般的だったガソリン車から木炭車への転換期に入ります。同時に、電気自動車の開発も再び盛んになりました。

そんな中登場したのが東京電気自動車(のちの「たま電気自動車」)です。同社は第2次世界大戦後の1947年(昭和22年)、「たま」号を発売。「たま」号は性能試験で、カタログ性能を上回る最高速度35.2km/h・航続距離96.3kmを記録し、評判を呼びます。さらに、1949年(昭和24年)には最高速度 55km/h・航続距離 200kmを実現した「たまセニア」を発売。社名を「たま電気自動車」に改名しました(※3)(※5)。

その後、同社はガソリンエンジンの技術を持つ富士精密工業と合併し、「プリンス自動車工業」に。のちに日産に吸収合併され、その技術力がリーフの開発に生かされることになるのです。

ガソリンエンジン車の普及・EVの衰退

1950年代に入ると、朝鮮戦争の影響で当時のEVに搭載されていた鉛バッテリーが入手困難になります。さらに1954年(昭和29年)にはガソリンの統制が解除され、電気自動車の優位性が失われます。

これらの事情により、電気自動車は衰退。同時に技術の発展や、ガソリンスタンドなどのインフラ普及により、ガソリンエンジン車が主流となります。

1955年(昭和30年に道路運送車両法から電気自動車の項目が削除されると、各メーカーはEVの開発を終了し、街中を走るEVも完全に姿を消したのです。

アメリカからはじまった、ZEVの動き

1960年代には、ガソリン車の排出ガスによる大気汚染が深刻化。1970年(昭和45年)にアメリカで自動車の排出ガスを規制するマスキー法が制定され、EVは再び注目を集めます。さらに1973年(昭和48年)に起こったオイルショックでは、石油価格が高騰したことから、EVの開発がさらに進みました。

ところが、当時EVに使われていた鉛バッテリーは重い上に充電効率が悪く、量産に不向きだったため、EVは庶民に浸透しません。1980年代に入ると石油価格は落ち着き、ガソリン車の排出ガスを浄化する技術も進化したことから、EVは三度姿を消すことになりました。

「プリウス」の登場とハイブリッドカーブーム

状況が変化したのは1990年代。地球温暖化が深刻化し、アメリカ・カリフォルニア州で新車販売台数の2%をEVとする「ZEV法」(ゼロエミッションビークル法)が制定されます。この動きに伴い、世界の自動車メーカーが電気自動車の開発をスタート。

日本でもこれを受け、自動車メーカーがEVの開発・生産を始めます。このころ発売されたのが、トヨタの「RAV4L EV」やホンダ技研工業の「EV PLUS」など。これらのEVのなかにはすでに、航続距離200kmを達成しているものもありました。

一方で、車両価格が高いEVはなかなか一般に普及せず、代わりに人気となったのがハイブリッドカーでした。その筆頭となったのが、1997年(平成9年)に発売されたトヨタ「プリウス」。ちなみに、現在はリチウムイオンバッテリーとニッケル水素バッテリーの2種類を搭載しているプリウスですが、リチウムイオンバッテリーのEVが浸透していない当時は、ニッケル水素バッテリーのみを搭載していました

日本のEVを牽引した三菱「 i-MiEV」と日産「リーフ」

長らく低迷期にあった日本のEVですが、2000年代に入るとついにその後の国産EVを牽引(けんいん)するモデルが登場します。それが2009年(平成21年)に発売された三菱「 i-MiEV」(アイミーブ)と2010年(平成22年)に発売された日産「リーフ」でした。

当時の「 i-MiEV」は最高時速130km/h、航続距離160km。世界で初めてリチウムイオンバッテリーを搭載した量産EVとして注目を集めます。一方、日産「リーフ」は最高時速145km/h、航続距離200km。走行できる距離の長さと、EVらしい未来的なデザインの新鮮さが人々に大きなインパクトを与え、発売からわずか4年の2014年(平成24年)には世界累計販売10万台を達成。さらに2016年(平成28年)には20万台を超える大ヒットとなりました(※6)(※7)。

「 i-MiEV」、そして「リーフ」の登場はその後の国産EVの発展に大きな影響を与えたと言えるでしょう。

環境配慮のその先へ!EVが実現する未来とは

いま、EVは次世代のフェーズに入っています。運転の快適性や加速力、エンターテイメントとの融合などといった「乗り物としての可能性の追求」。そして、MaaSへの活用、パーソナルモビリティ、カーシェアリングといった「目的の多様化」がもたらす進化によって、たんに環境のために選ぶ乗り物ではなくなってきているのです。

今後は自由で新しいEVが次々に誕生し、移動や暮らし、ひいては社会全体の課題解決に貢献していくことが期待されます。より多くのユーザーが、より多くのシーンで、より面白く使いこなせる乗り物になることでしょう。

※ 写真はすべてイメージです。

この記事の監修者

監修者の写真

宮尾 魁

第1種電気工事士

宮尾 魁

第1種電気工事士

<保有資格>

第1種電気工事士、2級電気工事施工管理技士

<略歴>

電気工事会社で工事業務を担当し数々の大規模プロジェクトに携わり、高い技術と専門知識を習得。組織内の工事プロジェクトの指揮を執る。革新的な技術や効率的なプロジェクト管理を取り入れる手法は業界内での評価も高い。

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